2007年 11月 20日 ( 1 )
カメラマン
c0149767_11352176.jpg学校でApichatpong Weerasethakulというタイの監督の『Mysterious Object at Noon』(1999年)を見る。ドキュメンタリーと感じられる瞬間というのは、人物が演技をしていない、カメラを意識していない、ナチュラルな姿を見た時だと思う。カメラ側がその場所に来て、ありのままを撮る。どちらかといえば、そこにあるものに主権がある。カメラはそれを切り取るだけ。フィクションになると、カメラ側が主体となって画面をオーガナイズする。そうすると、画面が落ち着き、安定した印象を受ける(多くの場合カメラをフィックスしている)。それはカメラの存在が画面の外に消えたからで、ドキュメンタリーの場合はカメラ、もっとブロウアップするとカメラマンの存在が見ている画面の中に感じられる。例えば、Werner Herzogはこれを逆に取って、ハンディーカメラでぶれた映像を撮る。そうすると、そこに臨場感が生まれ、リアルさが生まれる。映画というフィクションの物語から除外されてるカメラマンがいるという現実。制作側の人間が物語にいるという違和感。そういう意味のリアルさが観客を現実の世界に引き戻すのだと思う。顔の見えないカメラマンの気配を感じながらも、カメラマンの目線でしかそこにあるものを捉えることができないということ。
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by shinichitakeda | 2007-11-20 08:27