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25 nov 2007

Qu'est-ce que la relation entre un événement et après cet événement? Si l'événement n'existait pas, "aprés l'événement" serait impossible d'exister. "Après" implique un temps antérieur,mais tous les choses appartient au présent. Je me rappelle cette phrase ainsi,
Today is yesterday's tommorow, which is now. (Louis Hardin alias Moondog)

N'existe-t-il pas "aprés l'événement" qui n'a rien à voir avec l'événement?
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by shinichitakeda | 2007-11-26 03:35
小枝
c0149767_954164.jpg拾って来た小枝の樹皮を全部はがし、研磨機にかけ表面を平らにする。こんな小枝でもすごくしっかりしていて、木肌がなめらか。電動の研磨機はよく削れるから、ゆっくりやらないと必要なところまで入り込んでしまう。電動でおおまかに削ったあと、手動でゆっくり削っていく。厚みが3mm程で頑丈そうだったから、ばしばし削ってると、ポキッと折れてしまった。その後も気になるところを集中的に削っていたら折れてしまって結局3パーツに。
どこでも落ちているような小枝、小石なんかも手をかけてやれば、作品の一素材になりうる。材料を削り形を整えるというのは、人間の知恵の歴史でもある。大きな木から板をつくり、不揃いの石を削り立方体にし、住まいができるということ。フリーメーソンではその過程と人間形成の完成とを重ね合わせる。
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by shinichitakeda | 2007-11-24 05:36
ヒートガン
c0149767_9423438.jpgryobiのヒートガンを使ってパイプを曲げる。前使っていたpvcパイプは下水用で直径36mm。このパイプは厚みがあって頑丈だから、曲げようとするとぺこっとへこんだ感じになる。これをきれいに曲げようとすると、30°くらいが限度のような気がする。で、今回使ったのはこの前ホームセンターで買った、20mmの電気配線用のパイプ。色は薄めの灰色でなかなかきれいな代物。軽くて、厚みは1.5mmくらい。600℃まであがるこのヒートガンを使えば、簡単に曲げることができる。だけど、急な角度となるとどうしても、円形のパイプが楕円になって曲がる。2センチの筒状のパイプを曲げる訳だから、内と外の差が大きすぎてどっちかがへこんでしまう。木の型を使うとよけいに、木側に押し当てて曲げるから、その部分が平になる。多分16mmとかの細いパイプなら、もっときれいに曲げれるのかも。
このヒートガンは、学校に付属するギャラリーLa Boxにレジデンスで来ているアーティスト、Gyan Panchalに借りている。Gyanの作品は現代のもの派みたいで、発泡スチロール、ポリエチレン、pvcなどの石油製品の素材面に重点を置いた作品をつくっている>。例えば、原油を1リットル床に流したり、ポリプロピレンを編んで四角の布みたいにしたり。今日は切り込みを入れられたpvcの棒(薄い黄色と濃い灰色)からモコモコとpvcのかすが這い出ていた(サイエンスフィクションの中では変哲もない木を連想させる)。一つの素材の持つポテンシャルを実験してるよう。
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by shinichitakeda | 2007-11-23 09:43
カメラマン
c0149767_11352176.jpg学校でApichatpong Weerasethakulというタイの監督の『Mysterious Object at Noon』(1999年)を見る。ドキュメンタリーと感じられる瞬間というのは、人物が演技をしていない、カメラを意識していない、ナチュラルな姿を見た時だと思う。カメラ側がその場所に来て、ありのままを撮る。どちらかといえば、そこにあるものに主権がある。カメラはそれを切り取るだけ。フィクションになると、カメラ側が主体となって画面をオーガナイズする。そうすると、画面が落ち着き、安定した印象を受ける(多くの場合カメラをフィックスしている)。それはカメラの存在が画面の外に消えたからで、ドキュメンタリーの場合はカメラ、もっとブロウアップするとカメラマンの存在が見ている画面の中に感じられる。例えば、Werner Herzogはこれを逆に取って、ハンディーカメラでぶれた映像を撮る。そうすると、そこに臨場感が生まれ、リアルさが生まれる。映画というフィクションの物語から除外されてるカメラマンがいるという現実。制作側の人間が物語にいるという違和感。そういう意味のリアルさが観客を現実の世界に引き戻すのだと思う。顔の見えないカメラマンの気配を感じながらも、カメラマンの目線でしかそこにあるものを捉えることができないということ。
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by shinichitakeda | 2007-11-20 08:27
バス停
c0149767_8361096.jpgホームセンター、Leroy Merlinにパイプを探しに行く。いつもはBricoDepôtというこれまたホームセンターに行ってたんだけど、このLeroy Merlinの方が種類が豊富そうでおもしろい。というか、こちらにはあまり来たことないので、ただ目新しいのかもしれない。
色んな素材の溢れるホームセンターはインスピレーションの宝庫だと思う。一つ一つの素材、パーツにしても完成度が高く(商品だからか)、こういうのを一からつくりたいなあと思う。

久々に来たためか、帰りのバス停の位置が変わっていて少し戸惑った。待てども待てどもバスが来なくて、向こうからくるヘッドライトが全てバスに見えてしまった。18時半ではもう真っ暗だから、一人で待ってると、より不安感が増す。そのうち、二人くらいが自分の待ってるバス停らしきところーーまだ何の標識もないーーにやってきてた。息をブオーッと吐けば、口から真っ白の息柱ができるほどの寒さ。こんなに寒いのに外にぼーっと立ってるのを見れば、何かを待っているとすぐに分かる。ジェスチャー論の中には気候条件も組み込まれているのかな。
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by shinichitakeda | 2007-11-18 08:53
gateau d'anniverssaire
c0149767_6595533.jpgSouffler des bougies sur un gateau d'anniversaire n'est-il pas une sorte de rituel moderne? Une ambience intime va disparaître avec des applaudissements par le fait d'allumer des lampes. Eteindre tous les lumières dans la chambre et allumer les bougies sur le gateau, ensuite éteindre les bougies en soufflant et rallumer la lumière finalement. Qu'est-ce que ce geste signifie? Dans une église, par exemple, les chandlles symbolisent la chaleur, le sainteté et la mysticité etc.., mais on ne les éteint pas tout de suite. C'est normal qu'on espère garder la lumière le plus longtemps possible tel que un bébé donné une âme.
Eteindre les bougies est un événement. Il y a une odeur de cire qui reste en susupension dans l'espace. L'événement est complet, c'est-à-dire, à la fois visuel, olfactif et auditif --la musique d'anniversaire est indispenssable--et qu'on finit par gôuter le gateau. Il s'agit d'une joie de la vie avec la famille et des amies, et d'un remerciement pour des dieux. Ce sont des fêtes de la recolte qu'on peut classifier dans la famille plus grande que celle de l'anniverssaire. Quand j'étais petit, j'ai participé à la fête d'un temple dans mon quartier. Je me souviens d'un petit sanctuaire que l'on amène, à l'origine, d'un montagne où un dieu habite à une ville où l'on vit. C'est un véhicule pour le dieu qui, en principe, ne marche pas à pied. Je me souviens aussi d'un feu dans le jardin du temple. A la différence de dimension du feu, on s'en sert sur une nappe de la crème, un gateau. L'espris du feu continue toujours à exister dans notre corps. Pourtant la durée d'un feu diminue avec le temps présent et cela serait peut-être le reflet de nous-même.
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by shinichitakeda | 2007-11-17 22:25
ケーキ上のろうそく
c0149767_6165333.jpgろうそくの火を一気にフ〜っと吹き消す。拍手と蝋の臭いとともに、パッと蛍光灯の白い光が現実を照らしだす。誕生日と言えば、誰でもこの光景が浮かんでくるはず。だけど、この現代の儀式ともよべる不思議な習慣はどこから来たのだろう?
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by shinichitakeda | 2007-11-17 09:04